<a href="http://www.zdnet.co.jp/broadband/0312/15/lp14.html">リビング+:「ゲームが人を暴力的にする」は支持されつつある</a> (ZDNet)

昔は「ゲーム」で人が暴力的になるはずがないと思っていた。昔のゲームといえば、マリオがぴょんぴょんはねて踏んづけたりするレベル。RPGで主人公が攻撃するといっても、攻撃するふりをして、敵が点滅するぐらいのレベルだった。そんななかでは、あくまで現実の一面を映し出したゲーム画面に、人間が勝手に想像力で場面を思い描くものだった。もともと自分はゲームに感情移入するほうでもないし想像力も乏しく、所詮ゲームと割り切っていたもんだ。初期のゲームで暴力的になる人なんて、かなり想像力が優れていて、そんなひとはきっとテレビや本でも暴力的になるはずだから、ゲーム自体に問題があるとは思えない。
けども、最近のゲームは想像力を導入するまでもなく、すべてのことが作り手から供給されてしまう。そんな状態においては、ゲームの中の事象が現実とリンクしてしまうんじゃないか、と不安に思ってしまう。
こんな不安が多い中、任天堂だけは、リアリティーを排除し、昔と同じメタファーを今の技術で提供しているように思う。マリオがクリボーを踏みつけるのと同じ抽象度で、ポケモンは相手のモンスターを倒す。そこでは、確かに「倒す」という表現はされているものの、人を凶暴化させる要素はなく、あくまで仮想の世界であり、ゲームであることを印象づけてくれる。
ゲーム業界を創ったメーカーのこだわりをもって、メーカーとしての責任を果たしているようにも思う。

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